
2025年6月13日
「ホンダ NSX」世界に挑戦した国産スーパーカーの初代モデルに迫る
1990年9月、ホンダが世に送り出したミッドシップスポーツカー「NSX」。
新しいスポーツ体験、つまり新しい時代のスーパースポーツを意味する「New Sports eXperience(ニュー・スポーツ・エクスペリエンス)」に由来するモデル名を冠したNSXは、当時の車の常識を覆す先進的な設計と性能を兼ね備えていました。
今回は、日本のスポーツカー史に革命をもたらしたホンダの名車、初代NSXを振り返ります。
目次
1 世界初のオールアルミ・モノコックボディの量産化に成功した「初代NSX」
ホンダが初代NSXの開発に着手したのは1984年のこと。
1984年に発表された「HP-X(Honda Pininfarina eXperimental)」という名のコンセプトモデルと並行して進められていたNSX開発プロジェクトは、後に統合され、次第に具体的な形を取り始めます。
当時、自動車メーカーとしての地位を確立していたホンダでしたが、F1での成功を市販車に還元したいという想いを持っていました。
NSXが掲げていた開発の基本コンセプト「人間中心のスーパースポーツ」は、欧州の高級スポーツカーが持つ性能と魅力を備えながらも、日常での扱いやすさと信頼性を両立させるという、当時としては非常に挑戦的な目標でした。
その開発過程では、当時ホンダのF1エンジンを使用していたマクラーレンチームのドライバー、アイルトン・セナ氏の協力が大きな転機となります。
1989年、日本の鈴鹿サーキットでプロトタイプを試乗したセナ氏は剛性の低さを指摘。それがきっかけとなり、ニュルブルクリンクにて数ヶ月に及ぶテスト走行を実施し、剛性を大幅に向上させることに成功しました。
ホンダはNSX開発のために当時としては破格の投資を行い、専用工場まで新設。オールアルミ・モノコックボディの量産化という世界初の試みに挑戦し、自動車産業に新たな技術革新をもたらしました。
販売に至るまでの過程からも、NSXが単なるスポーツカーではなく、ホンダの情熱と技術力の結晶だったことが分かります。
その背景には、世界最高のスポーツカーを作るという明確なビジョンと、革新的なアプローチがあったのです。
2 革新的な技術の数々を詰め込んだ初代NSX
初代NSXに搭載された革新的技術は、当時の自動車業界に大きな衝撃を与えました。
その最大の特徴は、市販の量産車としては世界初となるオールアルミ・モノコックボディの採用です。これにより、高級スポーツカーに匹敵する剛性を保ちながら、同クラスの鉄製ボディと比較して約40%の軽量化を実現しました。
パワーユニットには、3.0L V型6気筒DOHC VTECエンジンを搭載。自然吸気エンジンとしてはトップクラスの最高出力280馬力、最大トルク30 kgf・mを発揮し、当時の日本国内における自主規制値の上限値のスペックを誇りました。
特にVTEC(可変バルブタイミング・リフト機構)の採用により、低回転から高回転まで幅広い領域でスムーズな出力特性を実現しています。
サスペンションには、ダブルウイッシュボーン式を採用し、高いコーナリング性能と乗り心地の両立を図りました。
さらに、視界の良さにもこだわり、細いAピラーと低いカウルにより、運転時の視認性を大幅に向上。これは人間中心の設計思想の一つです。
インテリアでは、当時としては先進的なドライバーズインターフェイスを採用。操作系のスイッチ類は手の届きやすい位置に配置され、視認性の高い計器類により、ドライビングに集中できる環境が整えられています。
このように初代NSXは単純な速さだけでなく、スーパーカーを誰もがが安心して運転できるという新たな価値観を提示し、革新的な技術の数々は後の自動車開発にも影響を与えました。
3 世界でも高い評価を受けた、走行性能と快適性を両立させた「人間中心の設計思想」
初代NSXが市場に登場した1990年、世界中のメディアが日本製スーパーカーを賞賛。特に欧米の評論家たちは、従来の日本車のイメージを覆す完成度の高さに驚き、「日本からの挑戦状」とも評されました。
アメリカの著名な自動車雑誌「Road & Track」は「NSXはフェラーリ348をあらゆる面で上回る」と絶賛。イギリスの「CAR」誌も「日本車がついにスーパーカー市場で真の競争相手となった」と評価しました。
特に高く評価されたのは、NSXの目指した人間中心の設計思想。つまり、スーパーカーとしての高性能と日常での快適性を両立させた点です。
ところが、市場での評価は必ずしも販売台数に直結しませんでした。
バブル経済が崩壊を迎えた当時の日本では、高額なスポーツカー市場は全体的に衰退。さらに円高の影響で輸出価格が上昇したこともあり、北米市場でも販売は伸び悩みました。
そんな状況下でも、15年の間にグローバルで約18,000台、国内では約7,400台が販売され、ホンダの技術力と挑戦を象徴するモデルとして地位を確立します。
市場への影響は販売台数以上に大きく、特にランボルギーニやフェラーリなどの欧州の自動車メーカーに大きく影響を与えたと言われています。品質の見直しはもちろん、高級自動車メーカーはよりドライバーフレンドリーで信頼性の高い車作りを求められるようになりました。
4 初代NSXのマイナーチェンジの軌跡

出典元: William’s photo / Shutterstock.com
初代NSXは基本設計を大きく変えることなく15年間生産されましたが、その間にいくつかの重要なマイナーチェンジと特別仕様車が登場しています。
1995年より、オープンエアでの走行を楽しめる、手動で取り外し可能なタルガトップを備えたNSX-Tが追加。
ところが、取り外し可能なルーフによりシャシー剛性が低下したため、ホンダは約45kgの構造補強を追加し、サイドシルロッカーパネルの大幅な厚肉化、隔壁、ルーフピラーの強化、そして新しいフロント・リア隔壁とフロアパンクロスメンバーを追加しました。
1997年には、エンジン排気量を3.0リットルから3.2リットルへ拡大するパフォーマンスアップデートを実施。日本国内向けということもあり、最高出力に関しては280馬力と変わらなかったものの、最大トルクが29.5kg-mから31.5kg-mへ向上し、新たに6速マニュアルトランスミッションが追加されました。
初代NSXが販売されていた15年間で最も大きな変更とされているのが、2001年のフェイスリフトです。ヘッドライトこれまでのリトラクタブルから固定式のHIDへと変更され、フロントマスクのデザインが一新されました。この仕様変更に伴い、フロントバンパーは延長・低型化。さらに、新たなデザインのテールライトとリアのリップスポイラーも装着されました。
特別仕様車に関しては、レーシングモデルをベースにした特別仕様車「NSX-R」が2度にわたって限定生産。初代NSX-Rは1992年11月から1995年9月まで国内向けに約480台生産され、2代目は2002年から2005年まで約140台が生産されました。いずれも徹底的な軽量化と走行性能の向上を図った究極のNSXとして、熱狂的なファンを獲得。現在も人気の高いモデルとなっています。
さらに、1997年には日本限定で、ワインディングロード向けに最適化されたトリム仕様として、チタンシフトノブ、軽量ホイール、軽量リアスポイラーなどの重量削減装備を採用したNSX Type Sも登場。
初代NSXはこのようなアップデートや特別仕様車を展開しつつも、人間中心という基本コンセプトを一貫して守り続けました。
5 レースで培った技術を市販車に。ホンダの技術力を証明する輝かしい結果

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初代NSXは市販車としての成功だけではありません。
ホンダは、NSXが本来持つ「レースで培った技術を市販車に」という哲学に基づき、様々なレースカテゴリーに投入されました。
ル・マン24時間レースには1994年、1995年、1996年の3回参戦。1995年には高橋 国光氏、土屋 圭市氏、飯田 章氏の3人の日本人ドライバーによるチーム国光のナチュラル・アスピレーション仕様のNSXがGT2クラスで優勝し、総合8位という結果を残しました。
1996年には、JGTC(現SUPER GT)にチーム国光のNSXが参戦。JGTCでホンダ車を投入した初のチームとなりました。GT500クラスに、1995年のル・マン24時間レースでGT2クラス優勝を果たしたNSX GT2をベースとした車両が投入されたものの、ファクトリーサポートなしでは限界があり、最高位は8月の富士スピードウェイでの7位でした。
1997年になると、ホンダが正式にJGTCに参戦を開始。シャシー開発の童夢と、エンジン開発の無限の協力を得て、GT500規定に特化したファクトリーサポート付きNSXで正式にシリーズに参戦しました。
1998年シーズンでは、NSX-GTは全7戦でポールポジションを獲得し、中嶋レーシングのペア、トム・コロネルと山西康司が富士スピードウェイで初勝利を挙げ、シーズン2位という結果を残しました。
鈴鹿1000km耐久レースにおいては、1999年から2004年にかけて4回の勝利を挙げ、1998年には全戦でポールポジションと最速ラップを記録し、6連勝という記録も樹立しました。
このような出来事は、初代NSXが人間中心の設計ながら、スーパーカーとしての性能も疎かにしない設計だったことの裏付けとも言えるでしょう。
世界で戦える国産車の技術力を「性能」と「思想」で示した初代NSX
日本車黄金時代と呼ばれる1990年代。
GT-R、スープラ、RX-7など、今なお世界中で熱狂的に支持される名車が多数誕生した時代です。
そんな時代に初代NSXが残した最大の遺産は、日本の自動車メーカーが世界最高峰のスーパーカー市場で戦えることを実証し、その後の高性能車開発に新たな基準を示したことだと言えます。
当時、最高級のスポーツカー市場は欧州メーカーの牙城とされていましたが、NSXはその常識を打ち破りました。
スーパーカーとしての圧倒的な性能と日常での扱いやすさ、最先端技術の導入と機械的な操作感の両立、そして高級車としての質感と信頼性。これらの要素を一台の車に凝縮させることで、新たな時代のスーパースポーツの先駆けとなったのです。
排ガス環境規制への対応問題から、2005年12月をもって惜しまれつつも生産終了したものの、NSXは歴史的に見ても、日本の自動車産業の成熟を世界に示した存在だったと言えます。
実際に、スーパーカーとしての高性能と日常での快適性を両立させた点においては、NSX以後の欧州メーカーにも影響を与えました。
ホンダのF1での成功を市販車に還元したいという想いから始まり、車中心の設計思想が主流の当時、誰でも扱いやすい高性能スポーツカーを目指して設計されたNSX。
現代のスポーツカーの礎を築いたとも言える一台です。
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