柿の種の愛称で人気の初代ブルーバードについて徹底解説!

柿の種の愛称で人気の初代ブルーバードについて徹底解説!

「ブルーバード」はダットサンセダンの正統後継車

 1990年代まで日産の中核車種だったブルーバードは、第二次世界大戦後に生産が始まったダットサンセダンの正当後継車。いわばセドリックとともに日産を代表するモデルだった。その初代は1959年にダットサン1000がモデルチェンジして発売された。車名もダットサン・ブルーバードで、その後も長くダットサンブランドは用いられている。

「柿の種」と呼ばれる理由

 この初代ブルーバードは型式から310と呼ばれることが多いが、これは2代目3代目とモデルチェンジを繰り返した後の世の呼び方。現役当時はブルーバードといえば310系しかないわけで、型式で呼ぶ人などいない。リヤに装備されるテールランプの形が「柿の種」に似ていたことから、その当時は「柿の種」と呼ばれていたのだ。

 柿の種は大正時代から新潟地方で親しまれてきた米菓。全国の業者が作ったが最もポピュラーなのは亀田製菓。戦後の1950年から米菓とピーナッツが入った柿の種を販売。戦後の貧しい時代、大衆が味わえる貴重なお菓子だった。それがブルーバードの愛称になったのだから、いかに大衆から支持されていたかを表している。

佐藤章蔵氏のデザイン

 この柿の種テールランプは全体のデザインとともに日産の社内デザイナーだった佐藤章蔵氏によるもの。だが1963年にモデルチェンジした2代目(410系)はイタリアのピニンファリーナがデザインを担当。佐藤氏は独立してトヨタ・スポーツ800のプロトタイプをデザインするも、後はソニーの顧問デザイナーになっている。

 ピニンファリーナの410は尻下がりなデザインが不評で、柿の種のような成功は収められなかった。その後1967年にモデルチェンジした510になって、ようやくブルーバードはコロナ以上の販売成績を収めるヒット作になる。そう考えると、佐藤章蔵氏がデザインを続けていたらどうなっただろう、などと考えるマニアは多い。

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