日本の風土が産み出し、逆境と戦った名車「スカイラインジャパン」の軌跡

日本の風土が産み出し、逆境と戦った名車「スカイラインジャパン」の軌跡

1977年に登場した5代目スカイラインの「ジャパン」。

スカイラインシリーズの中でも大ヒットを誇り、根強いファンが後を絶たない名車です。

3代目スカイライン「ハコスカ」、4代目スカイライン「ケンメリ」と伝説級の先代からバトンを受け取ったスカイラインジャパンですが、世の中的に非常に厳しい環境での船出でした。

今回は今なお人気を誇るスカイラインジャパンの苦悩と、その歩みについてスポットを当ててみたいと思います。

1 スカイラインジャパンとは

「SKYLYNE JAPAN」のCMコピーから「ジャパン」と呼ばれるC210型。

日産スカイラインの広告宣伝は、プリンス自販の宣伝課がライトパブリシティという広告代理店を起用して展開されました。初めて世に出たキャッチコピーは「愛のスカイライン」で、3代目のハコスカで使用されています。続く4代目では「ケンとメリーのスカイライン」というキャッチコピーが大ヒット。プリンス自販・宣伝課とライトパブリシティの関係は黄金時代を迎えます。

前作である空前のヒット作ケンメリはクルマだけでなくレコードやTシャツまでが人気を博し、もわずか200台足らずの販売で生涯を終えたGT-Rもイメージアップに貢献したから、今も熱狂的なファンに愛されていますね。

この「ケンとメリーのケンメリ」という偉大な先輩からバトンを託され、満を持して1977年8月に登場したのが5代目のC210系スカイライン。

ケンメリのように若い男女のカップルを起用する従来の戦略を変えて、広告キャラクターに開発主査を務めていた桜井真一郎氏を起用します。この時のイメージが強烈だったせいか、桜井氏は現在までミスター・スカイライン、スカイラインの父として親しまれることになりました。

そしてキャッチコピーはこの車の愛称として定着することとなる「スカイラインジャパン」。

「日本の風土が生んだ日本の名車」という意味が込められたもので、広告には大きく「SKYLINE JAPAN」の文字が踊ることに。ケンメリに続き、発音しやすく覚えやすいコピーとして「ジャパン」は瞬く間に浸透していきした。

2 低排出ガス対策が求められる時代での厳しい船出

しかしハコスカ、ケンメリと比べるとデビュー環境は厳しかったと言わざるを得ないでしょう。

先代ケンメリの途中でオイルショックやマスキー法に始まる厳しい省燃費、低排出ガス対策が急務となり、「今までのようなGTではいられない」という時代にも関わらず「スカG(スカイラインGT)であること」を求められるなど、逆境の中でもがいた車でもありました。

これに追い討ちをかけるように世界中がオイルショックに見舞われます。高性能を売りにするスカイラインは大きな痛手をこうむりました。しかもオイルショックの記憶が人々に真新しいということもあり燃費を向上させる必要にも迫られます。

DOHCエンジンを残したトヨタやいすゞ、ロータリーを継続したマツダの排ガス規制対応など、スポーツモデルに対する最低限の期待に応えていくことも難しい時代のスカイラインだったと言えるでしょう。そういった意味では歴代スカイラインの中でも地味で、華々しさに欠けるデビューとなったのです。

後に登場するモデル末期でようやく巻き返し、次世代につなげることに成功しましたが、それまでは「雰囲気だけGT」という見られ方もあり、厳しい時代を過ごしたスカイラインがC210だったのです。

3 先代ケンメリに続く年間15万台の大ヒット

さて厳しい船出と思いきや、スカイラインジャパンは多くの人を魅了し、好調な滑り出しを切ります。登場の翌年の1978年は、15万4000台あまりの販売を記録。そして1979年も14万台以上を販売しています。

6気筒エンジンを設定する上級クラスのスポーツモデルが月に1万台以上の販売を2年続けて記録したことは大ヒットと言って差し支えないでしょう。ケンメリにもに劣らない販売成績を記録したことはまさに快挙です。

販売が好調であっても更なる改善を続けます。よりクリーンな排ガス対策を目指し、1978年8月にエンジンを換装。新世代の4気筒エンジンとして送り出したのがツインプラグ、NAPS-Z採用のZ18型SOHCです。

さらに電子制御燃料噴射装置を用いたZ18E型エンジンも加わり、昭和53年排ガス規制をパスします。これに続いてZ16型エンジンと三元触媒を用いたL20型直列6気筒エンジンも排ガス規制をクリア。しさらにドライバビリティと実用燃費も向上させています。

ちなみにこの時に型式は「C211」です。

桜井真一郎氏を起用して好調だった販売戦略をさらに上向かせるため、ジャパンターボをテレビドラマ西部警察の劇中車として登場させたことも有名なエピソードですね。大門軍団の特殊車両としてマイクロコンピューターや無線、サーチライト、リモコン式カメラ、カラーボール発射銃などを装備し「マシンX」と命名され、さらに人気を伸ばします。ドラマではスカイライン2000GTターボの改造車という設定でした。

4 「名ばかりのGT」と呼ばれたジャパンと、ジャパンターボの逆襲

ジャパンは排ガス対策の強化、コスト低減が声高に叫ばれている時代に開発され、多くの難問を解決しながら歩みを進めます。

当時、排ガス規制に適合させたNAPS装備のL型エンジンはスポーティという響きと程遠い、遅いエンジンで有名でした。そのためスポーティで軽快な感覚は薄いように感じられてしまい、ライバルであるトヨタセリカの広告宣伝で「名ばかりのGTは道を開ける」と揶揄されたほど。

ジャパンは安定した運転性能に加え長距離走行でも疲れにくい快適性、安全性に関してももちろん最先端ではありました。GTとしての実力は低かったわけではないのです。

そんな中、日産自動車が日本初のターボ車としてセドリック・グロリアターボモデルを1979年に追加。1980年、ジャパンにとって大きな転機が訪れます。

1980年はジャパンデビューから3年が経過し、モデル末期に近づいた時期。このL20ET型直列6気筒OHCターボエンジンを積んだ「スカイライン ターボGTシリーズ」、俗に言う「ジャパンターボ」がついに登場します。

先行してセドリック、グロリアには搭載されていましたが日産初、そして国産市販乗用車初のターボエンジンL20ETが、ついにスカイラインにも搭載されることになったのです。

最高出力145馬力、最大トルク21.0kgm(グロス値)と、出力はともかくトルクはかつてのS20すら上回ったL20ETにより、最高速は170km/hから193.0.km/hへ、ゼロヨン加速も18秒台から16秒47へと一気に性能が向上しました。大排気量車並のパワーを手に入れることに。

ジャパンのチューニングとして、フェアレディZのように大排気量のL28エンジンへのスワップチューンは定番でしたが、L20ETは2リッターという5ナンバー枠で単純なエンジンスワップ並のパフォーマンスアップを果たしました。

5 国産ディーゼル車最速を誇ったディーゼルスカイラインGT

ジャパンターボ登場直後には、更なる進化を遂げます。

直列4気筒ショートボディのTIシリーズに2リッター4気筒のZ20Eエンジンを搭載した「2000TI」と、直列6気筒ロングノーズボディには2.8リッターディーゼルLD28を搭載した「280D GTシリーズ」が登場。

2000TIのZ20Eは最高出力120馬力とGTのL20Eに近い動力性能を持ち、ショートボディによる軽快さも相まって走りの活発さがより向上。

280DGTは当時のディーゼル乗用車が最高速120km/h程でしたが、実に162km/hを発揮。この速度はディーゼル乗用車としては当時最速でした。

その1年2か月後には6代目R30へのモデルチェンジを控えていました。モデル末期であってもこのように数多くのチャレンジを行なったジャパン。

C210ジャパンは最後の最後にターボGTとディーゼルGTを登場させ、ついに「スカG」としての面目を巻き返したのです。

6 スカイラインジャパンを旧車で購入する際の金額

ジャパンはターボ仕様のGTとして高い性能を誇ります。中古車としての200万~800万程度です。もちろん状態によって大きく変化します。

ジャパンはブランド力の高い旧車であることに加え、個体数も少ないため価格は高騰しています。結果として応談とされているものも多く存在しているのです。

ハコスカやケンメリ同様、状態の良い車は年々減ってきているため、良好な状態のジャパンを手に入れるチャンスがあればぜひ検討してみてください。

逆境にありながらも時代とスカGとの間で戦い続けたスカイラインジャパン

今なお愛されるジャパンですが順風満帆なスタートではありませんでした。

臨機応変に時代性を捉えながらもスカイラインとしてのプライドは曲げなかったジャパン。決して主張が強い車ではありませんが、その気高いスタイルは非常に魅力的です。

もしジャパンに出会うことがあれば、時代背景などを思い出して眺めてみてください。きっと心を揺さぶられるはずです。

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