ハコスカの愛称で人気の3代目スカイライン。その愛称の由来から車種の特徴に迫る!

「ハコスカ」の名前の由来

 ハコスカと呼ばれる3代目スカラインは1968年(昭和43年)8月1日に発売が開始され、ケンメリと呼ばれる4代目が発売された1972年9月に発売を終了している。そもそもなんで「ハコスカ」なのかといえば、その後のケンとメリーのスカイラインが大ヒットしたことが原因。「ケンメリ」と言う愛称が定着したことで、その前のスカイラインを区別するため「箱型のスカイライン」、略してハコスカと呼ばれるようになったのだ。

日産自動車がプリンス自動車を吸収合併

 ハコスカが発売された当時、日産自動車は1966年にプリンス自動車を吸収合併したばかりで、もともとプリンスのクルマだったスカイラインは日産のモデルとして生き続けることになった。開発を始めたのはプリンス自動車だが、開発中に日産と合併したことで日産製部品を使うことになった。部品の最たるものがエンジンだ。

 ハコスカにはプリンス開発の1.5リッター、G15型が標準エンジン。だが、日本グランプリで活躍した2代目のスカイラインGTに倣って、2リッター直列6気筒エンジンを搭載するGTが1968年10月に追加発売されている。この2000GTに搭載されたのが日産の主力エンジンであるL型だったのだ。

 また鼻先に長い6気筒エンジンを積むため、GT系は通常のモデルより全長・ホイールベースともに伸ばされていた。このことから通常モデルをショートノーズ、GT系をロングノーズと区別して呼ばれるようになる。

ハコスカはレースで輝かしい活躍を

 ハコスカといえばレースで輝かしい活躍をした。ツーリングカー50連勝という偉業を成し遂げたことで有名だが、それは通常のスカイラインではなかった。プリンス自動車がレース専用車として開発したプロトタイプカー、プリンスR380に搭載されたGR8型直列6気筒DOHCエンジンを元に開発したS20型エンジンを搭載したスカイラインGT-Rがレースでの主役だった。初めはセダンだけの設定だったが、レースの場においてマツダのロータリー車がGT―Rを猛追すると、ホイールベースを短縮してコーナリング性能を引き上げた2ドアのハードトップモデルが1970年10月に追加発売されている。

 4気筒エンジンのショートノーズ系では、1969年8月に排気量を拡大した1800モデルが発売されている。1500のG15エンジンからボア・ストロークともに拡大したG18型エンジンを搭載するモデル。意外なことだが、1800は最高出力が100psで車重が965kg程度。これに対してL型搭載の2000GTは最高出力が120psで車重が1095kg程度。20psの差は重量差で相殺されてしまい、街中や峠道などでは2000GTより1800が有利だった。低回転からトルクが盛り上がる1800は隠れたスプリンターなのだ。

スカイラインシリーズ全体のマイナーチェンジ

 GT-Rに2ドアのハードトップモデルが発売された1970年10月は、スカイラインシリーズ全体がマイナーチェンジされている。GT-Rだけではなく1800と2000GTにも2ドアのハードトップモデルが用意され、19種類のラインナップを揃えることになった。

 ところが続く1971年9月のマイナーチェンジではハードトップモデルがさらにワイドラインナップになる。1500のスタンダードとスポーティGLにも拡大設定されたのだ。この時のトピックは2000GT-Xの新設定だ。L型エンジンをツインキャブレター化して従来の120psから130psへ出力を向上させたのだ。合わせてGT-Xにはオプションで5速ミッションが選べるようになった。この5速MTはGT-Rと同じ部品であり、スポーティな操縦性を備えていた。

 ハコスカ最後の変更は1972年3月のこと。GT系にツインキャブと5速ミッションが選べたGT-Xはハードトップにしか設定されていなかったのだが、この時からセダンにもGT-Xが新設定されたのだ。5速ミッションがオプション扱いだったのはハードトップと同じだが、2ヶ月後の5月には通常の2000GTにも5速ミッションがオプション設定された。GT系に5速MTが好評だったことの現れで、5速MT車にはテールエンドに5Speedのエンブレムが装着されていた。

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